途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

暑さにまつわるエトセトラ

30度以上の日が続いている。

本来なら7月にならないと稼働しない職場のエアコンも、試運転を銘打ちひっそりと(温度調節等は一切不可)動いてくれている。ありがたや。

ところが、ただでさえ、ついているかついていないかわからない程度のうすらエアコンなのに、極端に寒がりの男性約1名が容赦なくスイッチを切ってしまうという事案が何度か起きている。気づいた時には、蒸し風呂状態で、昨日は、同僚から、皆を代表して「暑いんですけどアピール」をしてくれと懇願された。何故、私が?と思いつつも、仕方なくの茶番劇。勘弁してほしい。ちなみに、寒がりの彼は半袖シャツ1枚の軽やかな装い。寒いなら重ね着を強くお勧めしたい。私たちはこれ以上脱ぐことは出来ないのだから。

 

コーデックスについた蕾たちから目が離せないでいる今日この頃。日に日に大きく、赤く育つ蕾。直射日光が大好きなこの子は、この暑い毎日を満喫しているようだ。すっくと気持ちよい立ち姿。一番最初に花が咲く日には家に居られますように、その時を見られますようにと祈る日々。緊急事態宣言が解除されて出勤日も増えてしまったし、うまく立ち会えるだろうか。わくわくどきどきしている。

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ほとばしる爽快感

昔に比べて、目が悪くなった。眼鏡を作ってはいるが、ほとんどかけることはない。家にいてかけるとしたら、テレビの字幕が見えにくいとき。その程度。

洗面所にて、何か違和感を感じる。見えるはずなのに見えないものがあるのか、見えないはずなのに見えるものがあるのか。しばし辺りを観察する。すると、白い壁にところどころ極細のミミズ腫れがあり、鏡にも何やら白い線が走っている。よくよく見ると、化粧水やら横ちょの棚に収まっている洗剤の容器等にも。触るとねっとりしていて、匂うと意外にも爽快である。これは・・・歯磨き粉。しかし、何故、歯磨き粉が洗面所中に撒き散らされているのか。

混乱したまま、唯一の同居人である中くらいの人を出頭させると、ああ、なんだそのことですか、的なノリで歯磨き粉であることを認めた。「歯磨き粉が部屋中に撒き散らされているのは異常事態だと思うけど」と指摘すると、これまたしれっと、「歯磨き粉がさー、残り少なくってさー、出てこないからさー、振り回したんだよねー」と言う。しかも、「そのやり方、あなたが教えてくれたんだよ」だと。唖然。私は生まれてこのかた歯磨き粉を振り回したことはないし、ましてや洗面所中を歯磨き粉でデコレーションしたこともない。百万歩譲って私がそう進言したとして、蓋はきっちり閉めておけ。頭が痛い。世の中には、どうしても分かり合えない人間がいる。そして、不幸にもそれが極めて身近な人間の場合も。とりあえず、きれいにしておけと伝えて退場する。

 

以上のことが先週起こったのだ。

数日経った今も、何かを触ると、仕掛けられた歯磨き粉トラップが指を汚す。日を追うごとに粘度を増す歯磨き粉。中くらいの人は、私の何倍も目が悪い。何もかもきれいに拭い取ってくれるとは思わなかったが、これはいつまで続くのか。毎日トラップが、今は3日に一度トラップまで頻度を減らしてはいる。このまま順調に収束してくれれば良いが、忘れた頃に雨井さんが被害を被るのではないかとひやひやしている。誰が?張本人ではなく、私が。

世界一周

少し雨が落ち着いたので、ベランダへ出る。

この時期は、晴れれば暑く、曇れば蒸し、降れば雨脚強く、なかなか身の置き場がない。待ち受けているのは、私の苦手な夏。抜けたいような、抜けたくないようなトンネルの中にいる。

ベランダで育てているコーデックスの、ぽってりした幹に触ると、ひんやりしていて気持ちいい。片方の掌では包めないほどの太さなので、両手を合わせるようにして、そっと涼む。知らない人が見たら、祈っているように見えるかも知れない。我ながら、あやしいすがた。

 

そうしていると、思い出す光景がある。小さい頃、私は妙に手足が熱い子どもだった。夜になると、布団の冷たい場所を探しつつ、ごろごろわしゃわしゃして、そのうち疲れて眠るということを繰り返していた。自分のエリアに冷たい場所がなくなると、遠慮なく他人のエリアに侵攻していくので、家族はさぞ迷惑したことだろう。今の私なら殺意が芽生えるところだ。

じーちゃんとばーちゃんの家に泊まった時は、座敷に敷かれた布団からはみ出し、周囲の畳をごろごろし、それでも飽き足らず、襖を開けて隣の座敷に転がっていたこともある。全く記憶がないので、朝起きてからの驚きといったらなかった。私は誰かに運ばれたと思い、家族はそれを真夜中の世界一周と呼んだ。

そんな私に、じーちゃんがある日、大きな壺のような花瓶のようなものを与えてくれた。白い陶器で、何かしらの青い模様が入っていたのを覚えている。それを足に当てて寝よ、ということだった。孫が大切な壺だか花瓶を半ば意識のないまま転がすのを良しとした心意気。じーちゃんは、大陸生まれでなかなか豪快なところがあったのだ(余談になるが、ばーちゃんはアメリカ生まれ。いろいろあったあの時代の人は、そんなものだと思って育ったけど、そうかも知れないし、そうではないのかも知れない)。

果たしてそれが私の世界一周巻き添えの旅に終止符を打ったかどうかは覚えていない。もしかしたら、世界一周が日本一周程度に収まったかも知れない。今は、夜中にそっと壺だか花瓶だかを定位置に戻すじーちゃんの姿を想像するぐらいのことしか出来ない。じーちゃん、大きな壺だか花瓶だかをありがとう。じーちゃんのこころは、それよりうんと大きかった。

 

空が明るくなって、気温が上がりそうな予感。コーデックスの幹もぬるんできた。

そういえば、じーちゃんも、植物が大好きな人だった。

眠気

夜中、雨の音に気づき、慌ててベランダの洗濯物を取り込む。朝までは降らないかと思っていたが、甘かった。もはや浴室乾燥に方針転換する気力はなく、そのまま部屋干しとする。扇風機を洗濯物に譲るか否かで少し悩んで、結局、今季初めてのエアコンを稼働した。寝苦しいのは辛いんだもの。

 

職場を徘徊中、時々あいさつ程度に言葉を交わす人から「ちょっと訊いてもいいですか」と声をかけられる。チームも違うし、一体何の御用だろう、と少々身構えたところ、「ミンティア食べますか?」だった。呆気に取られたのち、大笑い。ありがたく頂戴したが、名前はまだ知らない。

神も仏もない

道尾秀介『雷神』読了。

埼玉で小料理店を営む藤原幸人の元にかかった一本の脅迫電話。彼は、30年前と15年前の二度に渡り、あまりにも辛い過去を抱えていた。そんな彼がようやく手にした平穏な日々に、突如さす暗い影。愛する一人娘・夕見を守るため、捨てたはずの故郷に向かう・・・というお話。

謎に包まれた母の死を発端に、父は毒殺事件の容疑者となり、姉は心身ともに消えることのない深い傷を負い、自らも一部の記憶を失う。そして、のちに妻は痛ましすぎる死を遂げる。

誰かが誰かのために良かれと思って取った行動が、ボタンのかけ違いで最悪の方向に突き進んでいく。とにかく、不幸が不幸を呼びまくる。これほどまでに重たい十字架を背負わされた主人公がいるだろうか。そんな彼の唯一の希望である夕見。どんなことをしてでも守りたいという思いは、痛々しいほどに切実だ。

読み物としては面白く、ぐいぐい引っ張られるようにして、中弛みすることなく読み続けた。ただ、たくさん詰め込んだことによって、物事が悪い方向に流れるという規則性が読者側にも馴染んでしまうのは、もったいないような気もした。詳細までは分からなくとも、途中からなんとなく展開が見えて、「衝撃のラストに驚愕」することはなかった。最後に救いを持ってくるのか、持ってこないのか、と思いながら読んだが・・・作者的にはやっぱりこうだったんだなあ。

 

雷神

雷神

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大丈夫だよ、のび太くん

真夜中に叩き起こされる。

何事かと思えば、中くらいの人が、大事な書類を書き損じてしまったと言う。あらかじめ、修正は厳禁、とされている書類。提出期限は、すでに日づけがかわっているので、今日。寝ぼけていた頭に一気にたくさんの情報が流れ込む。回路が繋がる。ここ10日ほどテーブルの上に置きっぱなしになっていた書類だ。早めに記入して提出しておきなさい、と2、3度声掛けした記憶がある。いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず対処法を考える。

間違いは、一文字。でも、ごまかすのは無理っぽい。一旦、修正テープで消した上でコピーをしようとするも、上質紙を使っているのか、うちにある普通のコピー用紙とは厚みが異なる。それでもいいような気もしたが、中くらいの人的にはNGらしい。

担任にことの次第を正直に伝えて、新しい用紙をもらうという結論に落ち着きかけた時、ふと、ひらめく。職場で不要となり、半ば押しつけられるようにして持ち帰ったボールペン用の消しゴムがあったはずだ。いわゆる砂消しというやつ。いまはカッターナイフと見紛うスリムな出立ちになっている。怪しげな道具を取り出した私を不審な目で見つめる中くらいの人。変な汗をかきながら、慎重に消し消しする深夜1時半。どうにか間違いを消すことができた。最後に、ドラえもんに出会ったかのような中くらいの人の表情を見た。ベッドに倒れ込み、こときれる。

 

朝。ぼーっとしつつも、貴重な休みを使って、やることだけはやる。

  • 崩壊したつっぱり棚の取り替え。
  • 浴室用ラックの取り替え。

古い方のつっぱり棚はやはり大型ゴミになってしまうのかなあ・・・とりあえず、棚上げ。

ラックの方は、今まで使っていたものの脚の部分が錆びて、床を汚してしまっている。何度目かになるクレンザー作業が昨夜の消し消しを思い起こさせる。手が棒。痕跡はあるが、許せるレベルまで頑張って良しとする。錆びラックには、ベランダにて第二の人生(人ではないけれど)を送ってもらう予定。

 

読みかけの本が読みたいが、眠い。

坂の途中で立ち止まる

体調、下り坂。寝不足なのもあって、どうにかこうにか一日をやり過ごしたという感覚しかない。普段できていることができず、そんな自分を不甲斐なく感じる。こんな風に気分が沈むことが増えた。決してこれから先がずっとこうだなんて思わないけど、「また普段の調子を取り戻せるよね?」「大丈夫だよね?」と自分で自分に繰り返し確認している。

 

棚の隅っこにお灸を発見。数年前にハマっていた時の残りが数個、ひっそりと生きながらえていたようだ。私のことだから、使い切ってしまうのがもったいなくて、そのうち買い足すつもりがすっかり忘れてしまったのだろう。何だかもってこいなタイミングな気がして、肩井、合谷と三陰交に据えてみる。久しぶりの蓬の香りに幾分か癒される。また始めてみようかな。