途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

小さなこと、大きなこと

職場提出用に住民票が必要となったため、区役所へ出向く。長丁場を覚悟していたら、最近稀にみる空き具合。マイナンバーカードの混雑もすっかり過去のこととなったらしい。待ち人数0人で、すいすいことが運ぶ。

 

まだまだ先のことだと思っていたワクチン接種が、突如、動きを見せ始める。職域接種の申し込みと自治体からのクーポン券が同時に舞い込んできた。さて、どうするか。正解がないことを考えたり決めたりするのは、とても難しい。数分前に考えていたことが、思いを巡らすうちに正反対の方に向かっていたりする。気持ちがぐらんぐらんと揺れて仕方ない。

今回の件で決め手となったのは、意外にも中くらいの人だった。彼は彼なりに数少ない大人の知人の意見を聞いた上で、自分の意見をこんこんと私に語ったのだ。夜9時過ぎ、テーブルの上に用意したカレーが冷めるのもそっちのけで。

中くらいの人の心配や懸念をありがたく受け取り、心を決めた。それだけ。きっと、何を選んだとしても、案ずるほど大した違いはないのだ。

小さかった人がいつの間にやら中くらいの人になった。そんな風にして、またいつの間にやら大きな人になるんだろう。なんだか自分が急に年をとった気分になる。そして、これが決して不愉快じゃないのが我ながら不思議である。それが実感できただけでも、気持ちを揺さぶられた甲斐はある。

 

バッグの中をごそごそと探っていたら、花びらのない花が出てきた。結構、大きい。いつどこで私のバッグに入ったのか。ちなみに、私のバッグは巾着に近いかたちで、口は小さめ。人知れず狙いを定めて飛び込んできたとしたら、奇跡の中の奇跡。

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↑謎の花。

あれこれ書き散らかしたのは、風のせい

風が強く吹いている。心地よいを通り越して、やけくそといったような具合で吹き散らし、いささか息苦しさを感じるほど。

ふと、3年弱を過ごした四国の町を思い出す。彼の地に引っ越してほどなく、地元の人に「ここはいつも風が強いですね」と言ったら、不思議な顔をされた。私が異様に感じた風の強さは、地元の人にとっては大したことないようだった。

今日はそんな風が吹く日。

 

職場から野菜のおかわりを持ち帰っていたので、ピクルスにする。勢いで、きゅうりと一緒にししとうも漬けてみたのだけど、大丈夫だろうか。激辛なやつが潜んでいた場合、威力が増すのか弱まるのか。身をもって体験することとなる。

 

ところで、中くらいの人は口が達者である。幼少の頃から、いや、何なら言葉を覚える前から常に何かしら音声を発していた。彼が静かだったのは、病気をした時のみで、それは年に一度あるかないかであった。

そんな中くらいの人が苦手とする言葉がある。それは、わけぎ。通常、わけぎと言えば、野菜である。玉葱に似た植物で、この辺りでは尾道が産地としてよく知られている。

しかし、中くらいの人によれば、彼にとって「わけぎ」が表すモノは3つあるという。

  1. 前述の野菜
  2. 脇毛
  3. 枝毛

どうしたものか。本人も、真のわけぎは1番のみであることは重々承知しているらしいが、あとの2つのものを思う時、どうしても最初に頭に浮かぶと言うか口をついて出るのも「わけぎ」なのだそう。

彼が、もし、人生のどこかで早押しクイズに参加する機会があるとすれば致命的である。この3文字でハワイ旅行がパァになったらと想像するだけでやるせない。しかし、幸いなことに、たぶんこのまま普通に生きていくとして、1番のわけぎも、2番のわけぎも、3番のわけぎもそれほど頻繁に彼の日常に登場することはないように思う。

それにしても、野菜や枝毛のことを脇毛と呼んでしまうパターンじゃなくてよかった。素敵なお嬢さんとのお食事の際、わけぎのぬたを「この脇毛〜」などと口にしようものならお先真っ暗である。お嬢さんの枝毛に対して「こんなところに脇毛が〜」もアウトであろう。

とにもかくにも、時間はたっぷりあるのだから、これから正しい使い分けを身につけるよう、人知れず努力して欲しいものである。

 

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↑2番目に咲いた花。強風で飛ばされる。

努力と根性

家のエアコンを運転停止すると、カタカタカタカタ・・・としばらく辛そうな音を発するようになった。最終的にはきちんと止まるので、まあいいかとそのままにしていたが、ちょいとカバーを開けてみる気になった。開けて数秒、フィルターのロックがかかっていないことに気づく。掃除をした時にうっかりかけ忘れたのだ。試運転して、あの音がしないことを確認。ほっとする。この夏も引き続き頑張っていただきたい。

 

化粧品の残りが少なくなったのを、努力と根性でみみっちく使っていたが、いよいよレフィルを買うべくデパートへ赴く。しばらく足が遠のいていた間に、以前、入場制限目的で設けられていたベルトパーテーションはすっかり撤去され、今はマスクより上の部分はタッチアップが可能になったとのこと。少しずつ日常が戻りつつあると思ってもいいのだろうか。とりあえず、今日のところは必要な物だけ購入してさっさと帰途につく。

 

今日は職場の煽り屋からこれでもかと煽りに煽られ、とても疲れた。どうにかして落ち着いてくれないかと思うけれど、性分なのだと諦める。彼は彼で、しんどいはずだ。となると、私は私で、いくら煽られても己のリズムを狂わされない強靭なメンタルが欲しい。七夕の願い事にしようか。

 

家に帰って、しばしベランダに座り込む。

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胸を焦がす

今にもほどけそうな蕾。

今日だろうか。ついに今日なのだろうか。朝ドラもそっちのけで、家を出るギリギリまで見守る。うしろ髪ひかれることこの上なし。

夕方の柔らかな光の中、どんな姿で再会することになるだろう。

嗚呼、今日が休みだったなら!

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ただいま!帰宅して、そのままベランダへと突進。

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完全体ではないけれど、咲いてた!砂漠のバラ。ぽってりボディに合っているような、いないような。いやいやそのアンバランスがたまらんじゃないかというような可愛らしい花。疲れを棚上げして、暗がりが訪れるまでそばにいるよ。

 

職場でたくさん野菜をもらって帰った。今日のところは、一旦、そのまま冷蔵庫に送り込もうと思ったものの、なす南蛮とパリパリきゅうりを作るくらいの気力は補充された。

 

明日も起き抜けにベランダであの子を観察するぞ。おう。

くうねるところにすむところ

対岸から何やらバリバリと大きな音が聞こえる。音のもとを探してみると、解体作業の真っ只中。最近、一軒家が取り壊され、跡地に集合住宅が建つのをよく見かける。隣接する家屋2、3軒がまとめて消え、大きなマンションがにょきにょき生えることも。人口が減っているのに、住処が増える不思議。いつかそこら中ゴーストタウンだらけになるのではないかと、人知れずひやひやしている。

 

今住んでいるところは、指折り数えてみると、ぼちぼち7年になる。当初は、3年程度で何処ぞに引っ越すことになるだろうと思っていたのに、気づけば予定の倍以上の年月をここで過ごしていることになる。決して新しくはないが、駅や郵便局や役所が近いところ、戸数が多くないところ、そして何より部屋からの眺めが良いところが気に入っている。

そういえば、数年前に一度、引っ越しを考えたことがあったが、いろいろあって立ち消えになった。引越業者からダンボールまでもらったというのに。

 

一軒家であれ、マンションの一室であれ、住居を所有することを人生最大の目的にしている人がそこそこ多いのは、私にとって驚きだ。毎日のように郵便受けに投げ込まれる不動産のチラシにうんざりする。賃貸に住んでいる人間は、皆いつかは自分の家を持つことを夢見ていると信じて疑わないのだろうなあ。

 

私には、住まいを所有したいという欲はない。これは、もしかしたら、自分の育って来た環境に起因する性質かも知れないと思い至る。

私の両親は、若くして家を建てた。自営業なので、職場と住まいが一体型になった比較的大きな建物だ。家業の浮き沈みに加え、諸事情により、一度は賃貸物件として他所様が住むこととなった。当時、私は離れた場所で寮生活を送っていたため、実際に大人の事情による家移りを経験したわけではなかったが、母と電話で話す度、多感な時期のこころは相当揺さぶられた。長期の休みに入り、帰省した先は祖父所有の小さな木造住宅だった。

その後、両親は自分たちが建てたあの家をリフォームした上で、再び居住している。結果オーライと言いたいところではあるが、年寄りにはいささかハコが大きく、エリア自体も昔よりは中心部から離れた印象が強まり、何かと悩みの種は尽きないらしい。

 

出来ることなら、私は、最終的には比較的繁華な町の小さな部屋に住みたい。最低限の買い物ができるお店や病院が近くにあるか、せめて電車やバスでスムーズに移動できるようなところ。送迎等、人様に頼らなくても生活できるところがいい。

 

そんなことをつらつらと考えていたら、対岸の家の2階部分がなくなっていた。神社の竹薮が見える。それもまたすぐに新しい建物で隠れてしまうのだろう。

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↑昔作った葉書が出てきた。中くらいの人の手が、ぷくぷく。

みどりたち

早朝、雨井さんが帰って行く。昨夜降った大雨が止んでいてよかった、と全身白っぽい出立ちの雨井さん。もう緊急事態宣言再発出などで、思うように会えない日々が戻ってきませんように。

お見送りのあとは、何の変哲もない、いつも通りの日曜日。遠いイタリアの田舎町に住む人々の生活を覗き観て、相席食堂で笑い、何かをしにニッポンに来たYOUたちとともにお昼を食べるのだ。今日のお昼はキーマカレー。丁度食べ終わる頃に、雨井さんから無事到着の連絡が来るはずだ。

 

今回、雨井さんは新しい仲間を連れて帰って来てくれた。

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ユーフォルビア・ラクテア・コーラルカクタス。くっきり、ぱっきり、もう二度と巡り会えなさそうな個性的なお姿。出会った瞬間に、これは私と引き合わせなければ、と思ってくれたらしい。ありがたや。大切に育てなければ。ちなみに、後ろ姿はこんな感じ。

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緑一色とは言っても、斑が入っているようで濃淡が美しい。ひとつ加わっただけで、部屋の中が明るくなったかのような存在感。

 

もしかしたら雨井さんに咲いたところを見せてあげられるかも知れないと思っていたコーデックスの蕾は、残念ながらまだ開いていない。だいぶゆるんできたように見えるが、まだその時ではないようだ。極小のものも含めて、蕾はたくさん確認できているので、どこかいいタイミングがあれば、と思う。砂漠のバラ、きれいに咲きますように。

ゲージがフルになったので、少し熱く語る

こちらの緊急事態宣言が解除されたので、雨井さんがやって来た。久しぶりの登場に、用意しておくべきものはないかとかそんなことに頭を忙しくさせるあまり、中くらいの人の弁当にスプーンを入れ忘れた。幸い、箸は入れていたので、中くらいの人が言うところの激おこ案件には至らず。炒飯を箸で食べるのに苦労したらしいが、世の中にはもっと苦境に立たされている人もいる。許せ。

 

久しぶりの人と久しぶりのものを食したくなり、お昼はお好み焼き屋へ。知らない間に、注文はタブレットで行うシステムに変わっている。鉄板の上で食べる、ぱりぱりの生麺入り焦がしマヨのチーズトッピングは格別で、しばし無言になる。体内のお好みゲージが一気にフルに。

少し落ち着いたところで、前夜にテレビで放送されたご当地ソースの舐め比べの話に。内容は、東のブルドックソース中京圏コーミソース(たぶんこんな名前だった)、西のオタフクソースをVTRでそれぞれ紹介したのち、スタジオの芸能人に舐め比べさせ、どれが美味しいか判定させるというもの。結果から言うと、オタフクソースには1票も入らなかった。負け惜しみに聞こえるかも知れないが、私を含め多くの広島県民はこの結果を予想できていた、たぶん。うっすら嫌な予感を抱きつつ、視聴していたはずだ。だって、そもそもの設定がおかしい。オタフクソースは、お好み焼きにかけるソースであることが大前提なのだ。自宅で作るお好み焼きや焼きそばはもちろん、コンビニやスーパーで買って来たお好み焼きや焼きそばに惜しみなく追いがけする(添付のものでは到底足りない)ための、なくてはならないものなのだ。懐の広いオタフクさんは、とんかつや牡蠣フライあたりと共演したりもするが、あくまでも本業は前述のとおり。つまりは、単品で舐めて美味しいソースではなく、当地のお好み焼きと一緒に食することで完成するソースなのだ。その辺のオレがオレがなソースと一緒にするのは大きな間違い。職人とバラエティータレントを比べるようなことをされると、困惑しかない。

最後は、ナレーションを担当していたどんぐりさんの「私はオタフクソース、好きですけどね」の言葉で締めくくられた。とてもありがたいが、明らかに慰めモードである。大丈夫。私たちはずっと、オタフクソースとともにある。平和学習とともに、オタフクソースの工場見学は、地元小学生の大事な任務なのだ。両手いっぱいのお土産を持たされ、家路についた日を今も覚えている。

ちなみに、うちに常備しているソースは、今も昔も、もうひとつだけ。カゴメウスターソースである。こちらは、ナポリタンやらステーキやらチキンライスやら幅広い用途で名脇役として活躍中。

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↑鉄板の上でも、もちろん追いオタフク。