途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

ナイフみたいに尖りませんし、ロケットも飛ばしません

朝、ベランダから手を振って中くらいの人を見送るのが、私の日課のひとつだ。

高校に進学してから、鞄や靴は自由、自転車を使えるようにもなって、出掛けていく姿はだいぶ大人に近づいた。

中くらいの人が通う高校は、比較的校則がゆるめらしい。それでも、中学校と変わらず、ツーブロックは禁止だ。中学校の規則には、「中学生におしゃれは必要ありません」みたいな添え書きがされていたような記憶がある。まあ、中学生1年生は小学生に毛が生えたぐらいのものだし、そう言われるとそうかという気持ちにならなくもないが、冷静に考えてみると、小学生や幼稚園児はフツーにツーブロックにしていたりする。なぜにツーブロックはそれほどまでに学校関係者をざわつかせるのか。もしや、何かとてつもなくとてつもない髪型を念頭においているのではないか。だとすると、そのとてつもなくとてつもない髪型とやらを見てみたいと思うのだが。ちなみに、私が考え得るきわっきわのツーブロック将軍様なのだけど、あんな髪型の学生がいたところで、別に脅威を感じることはない。

そして、何を隠そう私はツーブロックなので、危険な親だと判定されるかも知れないが、なんせ当の中くらいの人がのび太くんばりのまじめないでたちなので、大目に見てもらえるとありがたい。

これだけ書いておきながら、実は、私が最も疑問に思う校則は別にある。靴下だ。学校指定の靴下はないものの、「入学式は黒。ただし、体育の授業の際は白であること」というルール。最初は、ふーん、細かいな、と思った程度だったが、実際に学校生活が始まってみると、洗濯物に黒と白2セットの靴下が入っている日があることに気づいた。中くらいの人に訊いてみると、体育の授業の前の着替えの際に、靴下も履き替えているという。しかも、最初の体育の授業をうっかり黒の靴下で受けたところ、怒られたと言う。まあ、ルールはルールだから怒られたのは仕方ないが、そもそもなぜ体育の授業は白でないといけないのかが全く分からない。たとえ蛍光イエローの靴下を履いて体育の授業を受けたとしても、なんら支障はないように思うのだが。もしかしたら、むしろ気分がノッて、良いパフォーマンスに繋がることだってあるかも知れない。

白でなければいけない理由は、統一感か?ちなみに、体育シューズは自由である。

中くらいの人に、毎日白い靴下履いとけば?と言ったら、制服に白の靴下はダサい、との答えが返ってきた。なるほど。そういう自分なりのセンスみたいなものは持っていて欲しいと母は思うので、今日も黒と白の靴下を洗って干すのであります。

族のこと

通勤には電車を使っている。

コロナ禍であろうとなかろうと、まあ満員だ。電車には、座席と並行に吊革が並んでいる。つまり、満員の時には、立ち乗り客は、座席に座っている人と向き合うかたちでずらっと並んで立つ。出来るだけ多くの人間が何かしらに掴まる等して、出来るだけ安全を確保した状態で運ばれようとするならば、たぶんこれが基本となる。

それが、時々、あれ?と思うことがある。通路のど真ん中に立つ人がいるのだ。いや、表現が適切ではない気がする。進行方向に向かって右側の吊革を持っておきながら、立ち位置が真ん中。ひどい場合だと、上半身は右側で下半身は左側みたいなことになっている。なぜ?

昨日は、座席に座っていて、そんな状態の立ち乗り客に踵で足を踏んづけられた。その人の意識は完全に向こう側なので、こっちの様子には一切気づいていない様子だった。(いや、私なら自分の踵が何かを踏んだら気づくけど)

時にはそんな被害を受けることもありつつ、一番迷惑だなあと思うのは、その人が人の動きを堰き止めていることだ。乗降もしづらいが、車両の奥が比較的空いていたとしても、乗客は出入口付近に停滞することを余儀なくされる。

電車に乗っている間、本を読むことぐらいしかすることもないので、上半身右・下半身左(もしくは逆)族の側に立った利点とか主張とかそんなものについて考えてみた。

 

  目の前で座っている乗客との社会的距離を確保するため。

  • リュックサックのマナー関連

  車内では、リュックサックを背中から下ろし、胸側にかけているため。でも、すべての上半身右・下半身左(もしくは逆)族がリュックサックを所持しているわけではない。

  • 背が高いアピール

  というより、からだが長いアピール。でも、すべての上半身右・下半身左(もしくは逆)族が長身なわけではない。

  • 通路を我が物にしたい

  人知れず、通せんぼをして楽しんでいる。できることなら、通行料を徴収したいとすら夢想している。

 

最後のひとつかふたつは、悪ふざけがすぎたし、私の通勤所要時間では、この程度しか思いつかなかった。正解が含まれているとしたら、やはりひとつ目だろうか。もはやコロナ前に戻ることはできないので、検証のしようがない。残念無念。

 

 

山の谷間に浮かんだ満月。正確には、ほほ満月。4月の満月、通称ピンクムーンのピークは、17日の明け方が近づく頃だったそう。わ、おっきいな、とベランダから眺めていたら、中くらいの人もやって来て、写真を撮っていた。

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描き続ける理由

貫井徳郎『壁の男』読了。

栃木県のとある集落には、奇妙な光景が広がっていた。商店や民家の壁という壁に描かれていたのは、どぎつい色に彩られたあまりにも稚拙な絵。この集落の様子はSNSで話題となり、フリージャーナリスト・鈴木は取材に赴くが、肝心の絵を描いた伊苅という男は多くを語ろうとしない。お世辞にも芸術的とは言えない落書きのような絵を描かれて嫌がる住民はいないのか?そして、伊苅はなぜそのような絵を描き続けるのか?

といった内容。物語は、鈴木が伊苅の過去について調べていくというスタイルで始まるが、結果として、鈴木は全てを暴き出せない。途中から、伊苅が中心となったストーリーを読むことで、読者はことの真相を知ることとなるのだ。鈴木は、目論見通り、伊苅に近づくことに成功する。しかし、取材が記事となってこの世に出たとして、本当のことは当事者にしか分からないよね、というこの社会で生きていく上で留意しておくべき一面が示されることとなる。

思春期、大学時代、社会人になってからの日々、と丁寧に紡がれる伊苅の物語。誠実な彼と稚拙な絵が少しずつ繋がっていくにつれ、嫌な予感がじわじわと広がっていく。彼の人生を大きく変えることとなる優しき人たちとの出会いは、彼にとって間違いなく最高の日々だが、皮肉にもそこを起点に歯車は狂い始める。その後、とある人物の名前が明らかになったところで、私は思わず「やめて」と口走ってしまったほど。

読み終わったあと、やるせない気持ちが爆発しそうになり、どこかに救いはないかと登場人物たちを振り返った。すると、救われた人たちは、たしかにいた。伊苅が絵を描いてあげた人たちだ。皆、伊苅に絵を描いて欲しいと切に願い、描き上がった絵に癒され、魅了された。

最後の一文が、いつまでもいつまでも残る作品。

安定のカオス

気づけば、ここのところ、日記が中くらいの人色を強めている。もともと育児書や子育て日記の類いには興味がないのに、このまま中くらいの人の成長記録みたいになったらどうしよう。個人的には、ちょっとした異常事態だ。こんなところに溢れてしまうほど、この春は中くらいの人まみれの日々ということなのだろう。

昨日は、中くらいの人の誕生日だった。16年のうちの13年を3人で過ごし、2人で暮らすようにになって3年が経った。年数は違えど、甲乙つけ難いほど、濃厚な毎日であった。

昨日は、中くらいの人にとって「今まで生きてきた中で、最低最悪の誕生日」だったのだそう。このフレーズは、今までに何度か聞いたことがあるので、記録を更新中といったところなのだろう。

夕飯の支度の途中で、中くらいの人が帰宅。近くの書店まで、一緒にノートを買いに行って欲しいと言うので、時間指定の配達が届くのを待ってから出掛けることに。この時点ですでにちょっと面倒臭いなあ、と思っていたら、「先にご飯食べたい」などと言い出すわ、電話は掛かってくるわ、突然の失せ物探しは始まるわ、カオスとしかいいようのない状況に陥った。

ちなみに、失せ物というのは、小学生の頃に使っていた裁縫セット。家庭科の授業で入用なんだとか。「捨てていないとしたら、絶対ここ!」というポイントになかったから、捜索範囲は一挙に家中に拡大した。見つからなかった場合、裁縫セットなどという物をどこで入手できるのか考えて、変な汗も出た。手芸店で、子ども向けの裁縫セットなんぞ見かけたことはないような気がするし、ネットで注文するにはもう日にちがない。とりあえず、捜索は一旦やめて、とてつもなく絶望的な気持ちでノートを買いに出掛けた。

夜風にあたったのが功を奏したのか、帰り道で絶望の只中に光を見出した。家にたどり着いてから、ひらめいた箇所を探したら、裁縫セットはあっけなく姿を現した。ああ、よかった。

そんな調子でいっぱいいっぱいだったため、誕生日らしいことを一切しないまま一日が終わってしまった。一日遅れで、今日、ケーキを買って帰った。

週末に所用で出かける予定があるので、その時に何か美味しいものを食べに行こう。そうしよう。

毎日おみやげ

中くらいの人も私も、新たな日々が既にスタートしたけれども、まだまだ軌道に乗り切ったとは言えない状態。今朝も今朝とて、中くらいの人は旅行にでも行けそうなほどぱんぱんの鞄を前に、出かけるぎりぎりまで持ち物に悩み、私は私で弁当箱と格闘したりしていた。

そう言えば、昨日、かーさんとのメッセージのやりとりで、「毎朝の弁当の用意がプレッシャー」と愚痴ったら、「あたしも大嫌いだった」との返信が届いた。そうか、遺伝なのか。でも、かーさんが弁当作りをしたのは、私たち姉弟が幼稚園を卒園するまでだった。その後は、小学校の遠足の時ぐらい。今の私にとっては、羨ましいことこの上なし。

 

そして、そんな初々しくも不安定な日々の真っ只中であっても(だからこそ?)、厄介ごとに愛される男・中くらいの人は、手ぶらでは帰って来ないのである。

下校時の下り坂で、中くらいの自転車(正しくは、中くらいの人の自転車)が、耳をつん裂くようなブレーキ音を発する、というのが今日の土産話であった。「ネットで原因や修理代金等を調べたところ、ブレーキをまるまる交換するしか方法はなく、最低でも1万円はかかるらしいよ」とのおまけつき。ありがとう。

そこから、今の自転車のブレーキ交換をするか、新しい自転車を買うかで、あーでもないこーでもないと堂々巡りをする中くらいの人。残念ながら、こういう時の中くらいの人は、答えを出せない。「とりあえず、しばらくこのままで行ってみる」と先延ばしに先延ばしを重ねる、というのがお決まりのパターンなのだ。

基本的に、自分がいいと思うようにしたらいいのだけれども、そもそも二択で悩んでいるところが、私としては、どうしても引っかかる。

時間もまだ遅くはないので、まずは自転車屋さんに行ってみてはどうかと提案してみた。すると、「すでに調べはついているんだから、そんなの時間の無駄」だの何だのと猛反発。擦った揉んだしたあげく、強情な中くらいの人を近所の自転車屋さんに送り込むことに成功した。その結果、ブレーキの交換にはなったものの、3,800円で直してもらうことができた。ほれ見たことか。

何か問題が起きて、自分で対処法を調べてみたところまではよかったと思う。少し前の中くらいの人は、それすらできない子どもだった。でも、ネットで得る情報は絶対ではないんだなあ。私も植物関係のサイトとか読んでて思うんだけど、意外とフツーの人が書いてたりすること多いし。ブログとかだと、その後の記事に「あれ失敗だった。笑」とか書いてあったりね。がっかりだね。知らない人がそこそこ丁寧な言葉づかいで書いた文章が活字になっていると、ついつい鵜呑みにしてしまうよね。

ネットの情報は、吟味して、参考程度に。その上で、とりあえず手は尽くしてみよう。そのあたりのことを、今回の厄介ごとを通して、中くらいの人が肝に銘じてくれたら嬉しいんだけどなああああ、、、どうでしょうかね、中くらいの人よ。

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↑中くらいの人がまだ小さい人だった頃にゾッコンだったミニカーたち。なぜに大集合?

朝のたのしみ

Tシャツ1枚で過ごせるぐらい暖かな日。朝一番に植物たちに水をやっていて、アデニア・グラウカから芽が出ていることに気づく。

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見えるかな、画面中央、てっぺんの切断面から少ぉし下のあたりに吹き出物のようなものが!小さすぎて見えない?老眼なんてなんのその。待ち望んでいた私には、ばっちり見えるのです、頼もしい希望の芽が。

緑と白のツートンの塊根を思い切って剪定したのが2月末頃のこと。ダメもとで、切り取った上の部分も植えつけてみたところ、こちらは結構早い段階で葉をつけた。

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一旦、芽吹くと早いので、赤ちゃんウーパールーパーの手(←よくわからんけど、イメージ的に)みたいだったのが、数日でそこそこ大きな葉に成長した。

ちなみに、どちらも発根は確認していない。なけなしの塊根もしくは幹の栄養だけで発芽した可能性も排除できない。かと言って、目を覚ましたばかりの今、掘りかえすのも可哀想なので、しばらく様子を見てみようと思う。

昨シーズンは、心ゆくまで幹を伸ばしたグラウカさん。最終的に40cmほどに達したんじゃなかろうか。弓形に曲がっていた姿を記憶している。今年は、少しばかり剪定して、変化を楽しんでみるのもありかも知れない。

やはり、まだ中くらい

ようやく、ようやく、中くらいの人の高校生活がスタートした。長い春休みが終わって、本人は悲しみ、私はほっとしている。

 

昨日は、入学式に参列した。前回の入学説明会の時点では、それぞれ出身中学の制服を着ていた生徒らが、皆揃って同じ制服、同じ上靴で入場して来たのを見て、あぁ新たな学校生活が始まるのだなあと実感。東京のあたりでは、入学式までに制服が間に合わない事例が多発していると聞く。気を揉んでいらっしゃる方も多いだろう。皆さんの元に早く届きますように。

コロナ禍のため、国歌・校歌はスピーカーから流されるのみ、来賓・在校生の祝辞は割愛されて、式はさくさくと終了。PTA入会式の後、ホームルームにて細かな説明を聞いた。

途中、隣の生徒同士でフリートーク的なことをせよ、という時間があった。気の利かない中くらいの人の動向が気になり、さりげなく目を向けてみると、隣の女子が率先して話しかけてくれていた。彼も何かしら受け答えしていたようだ。何を話していたのかまでは聞こえなかったけど、女子は大人だなぁと感心せずにはいられなかった。努めてつくるよそいきの笑顔が、なんと言うか、健気で、眩しい。普段、唯一絡む若者が、最高に若者らしくない中くらいの人なので、若いとは、こういうことなのか!と、しばらく目が離せなくなった。

最後に、時間の無駄だのどーだのと嫌がる中くらいの人を校門の記念撮影スポットの列に並ばせて、写真を撮った。とても迷惑そうな顔で写った写真を家族に送ることになった。中くらいの人が大人になるのは、まだまだ先になりそうだ。