途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

世界一周

少し雨が落ち着いたので、ベランダへ出る。

この時期は、晴れれば暑く、曇れば蒸し、降れば雨脚強く、なかなか身の置き場がない。待ち受けているのは、私の苦手な夏。抜けたいような、抜けたくないようなトンネルの中にいる。

ベランダで育てているコーデックスの、ぽってりした幹に触ると、ひんやりしていて気持ちいい。片方の掌では包めないほどの太さなので、両手を合わせるようにして、そっと涼む。知らない人が見たら、祈っているように見えるかも知れない。我ながら、あやしいすがた。

 

そうしていると、思い出す光景がある。小さい頃、私は妙に手足が熱い子どもだった。夜になると、布団の冷たい場所を探しつつ、ごろごろわしゃわしゃして、そのうち疲れて眠るということを繰り返していた。自分のエリアに冷たい場所がなくなると、遠慮なく他人のエリアに侵攻していくので、家族はさぞ迷惑したことだろう。今の私なら殺意が芽生えるところだ。

じーちゃんとばーちゃんの家に泊まった時は、座敷に敷かれた布団からはみ出し、周囲の畳をごろごろし、それでも飽き足らず、襖を開けて隣の座敷に転がっていたこともある。全く記憶がないので、朝起きてからの驚きといったらなかった。私は誰かに運ばれたと思い、家族はそれを真夜中の世界一周と呼んだ。

そんな私に、じーちゃんがある日、大きな壺のような花瓶のようなものを与えてくれた。白い陶器で、何かしらの青い模様が入っていたのを覚えている。それを足に当てて寝よ、ということだった。孫が大切な壺だか花瓶を半ば意識のないまま転がすのを良しとした心意気。じーちゃんは、大陸生まれでなかなか豪快なところがあったのだ(余談になるが、ばーちゃんはアメリカ生まれ。いろいろあったあの時代の人は、そんなものだと思って育ったけど、そうかも知れないし、そうではないのかも知れない)。

果たしてそれが私の世界一周巻き添えの旅に終止符を打ったかどうかは覚えていない。もしかしたら、世界一周が日本一周程度に収まったかも知れない。今は、夜中にそっと壺だか花瓶だかを定位置に戻すじーちゃんの姿を想像するぐらいのことしか出来ない。じーちゃん、大きな壺だか花瓶だかをありがとう。じーちゃんのこころは、それよりうんと大きかった。

 

空が明るくなって、気温が上がりそうな予感。コーデックスの幹もぬるんできた。

そういえば、じーちゃんも、植物が大好きな人だった。