途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

くうねるところにすむところ

対岸から何やらバリバリと大きな音が聞こえる。音のもとを探してみると、解体作業の真っ只中。最近、一軒家が取り壊され、跡地に集合住宅が建つのをよく見かける。隣接する家屋2、3軒がまとめて消え、大きなマンションがにょきにょき生えることも。人口が減っているのに、住処が増える不思議。いつかそこら中ゴーストタウンだらけになるのではないかと、人知れずひやひやしている。

 

今住んでいるところは、指折り数えてみると、ぼちぼち7年になる。当初は、3年程度で何処ぞに引っ越すことになるだろうと思っていたのに、気づけば予定の倍以上の年月をここで過ごしていることになる。決して新しくはないが、駅や郵便局や役所が近いところ、戸数が多くないところ、そして何より部屋からの眺めが良いところが気に入っている。

そういえば、数年前に一度、引っ越しを考えたことがあったが、いろいろあって立ち消えになった。引越業者からダンボールまでもらったというのに。

 

一軒家であれ、マンションの一室であれ、住居を所有することを人生最大の目的にしている人がそこそこ多いのは、私にとって驚きだ。毎日のように郵便受けに投げ込まれる不動産のチラシにうんざりする。賃貸に住んでいる人間は、皆いつかは自分の家を持つことを夢見ていると信じて疑わないのだろうなあ。

 

私には、住まいを所有したいという欲はない。これは、もしかしたら、自分の育って来た環境に起因する性質かも知れないと思い至る。

私の両親は、若くして家を建てた。自営業なので、職場と住まいが一体型になった比較的大きな建物だ。家業の浮き沈みに加え、諸事情により、一度は賃貸物件として他所様が住むこととなった。当時、私は離れた場所で寮生活を送っていたため、実際に大人の事情による家移りを経験したわけではなかったが、母と電話で話す度、多感な時期のこころは相当揺さぶられた。長期の休みに入り、帰省した先は祖父所有の小さな木造住宅だった。

その後、両親は自分たちが建てたあの家をリフォームした上で、再び居住している。結果オーライと言いたいところではあるが、年寄りにはいささかハコが大きく、エリア自体も昔よりは中心部から離れた印象が強まり、何かと悩みの種は尽きないらしい。

 

出来ることなら、私は、最終的には比較的繁華な町の小さな部屋に住みたい。最低限の買い物ができるお店や病院が近くにあるか、せめて電車やバスでスムーズに移動できるようなところ。送迎等、人様に頼らなくても生活できるところがいい。

 

そんなことをつらつらと考えていたら、対岸の家の2階部分がなくなっていた。神社の竹薮が見える。それもまたすぐに新しい建物で隠れてしまうのだろう。

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↑昔作った葉書が出てきた。中くらいの人の手が、ぷくぷく。