途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

編む理由

編みたいものを編みたいときに編む、というスタイルで編み物を続けている。ちなみに、完全無欠の独学である。どういうわけか、毎年決まって立秋のころから編み始め、翌年の初夏あたりで編み針を置く。毎シーズン満喫して、もしかしたらこの先もう編み物をしなくなるかも知れないなどとちらりと思ったりもするが、3ヶ月ほど休んだらむずむずしだして、書店や自分の本棚の編み物本を物色するのだ。日常生活では「何が立秋だ。暑さ最高潮じゃないか!」などと愚痴ってばかりだけど、からだは意外と自然の営みを全うしている。

ただただ何かを編みたいという気持ちがきっかけになることもあるが、たいていの場合、何か心の中にもやもやを抱えているときに編み針を手にすることが多い。

今日もそんな一日だった。本当なら、今日は健康診断のはずだった。バリウムを飲んだら数日は調子が悪くなるので、気はすすまないけれど、さっさと済ませてしまいたいイベントのひとつだ。それが、昨夜になって、一旦キャンセルしなくてはならない事態となった。職場でコロナ疑いの者が出たのだ。発熱外来でPCR検査を受けたことから、その結果が出るまでは、チーム全員自宅待機せよ、とのこと。ショックが大きい。コロナのことも、健康診断のことも。

大雨続きで、夜中に幻聴が聞こえて眠れないのもあって、どうにも沈みがちだ。

ここ数ヶ月、編み物のことなんて一切考えていなかったのに、突然、編もうと思った。編まなきゃ!と。当然のことながら、毛糸の用意もないので、昨シーズンの残り糸で編めるものを探すところから。なんだっていいのだ、気のむくままに。お守りのような、精神安定剤のような、心の拠りどころなんだろうなあ、とぼんやり、ありがたく思いながら、今シーズンもひと目ひと目編みはじめる。

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