途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

宣言解除前日に思うことをつらつらと

9月最終日。ザワつき案件多発中の職場も含め、ここを境にいろいろなことが変わったり変わらなかったりするのだろう。平常心、と静かに唱える。

 

新型コロナの新規陽性者数が大幅に減少したことで、緊急事態宣言も解除になる。ちなみに、減少の原因は専門家にもわからないと言う。

ピーク時には380人ぐらいにまで増加した県内の1日あたりの新規陽性者は、今は30人前後。数だけ見ればたしかに随分改善している。でも、この30人前後という数字が一向に減らないのだ。

これはロックダウンすれば効果覿面間違いなしの局面なのだろうなぁ、とまず実現しそうにないことを夢想する。そして、いくら地方が平時を保っていたとしても、都会があれじゃまったく意味がないことも今回の困難で重々理解した。ウイルスがまるで新幹線で移動するかのように感染範囲を拡大するのだから。

 

良くも悪くも、もう右向け右の国ではなくなった。いろんな立場があって、いろんな考えがある。それを尊重する、ある種理想的なかたちだ。たとえ誰が国のトップに立ったとしても、今後もロックダウンなんて実現不可能だろう。

 

コロナ関連の街頭インタビューは見たくなくて、いつの頃からかチャンネルを変えるようになった。テレビ局の悪意だろうか。「緊急事態宣言とか慣れちゃって、もう特に何も感じなくなってます」とか「もう我慢の限界なので、出て来ちゃいました」とか「子どもの思い出づくりに思い切って旅行することにしました」(←公共交通機関で。私はこれが一番理解し難いかも)とか。意図的に其の手の人たちの意見ばかりを取り上げているのだろうか。「そうだ!そうだ!」と視聴者が喜ぶとでも?

 

今のこの状況を喜んでいる人間なんていないだろう。何をどう思うかは、当然個人の自由。ただ、それを恥じらいもなくテレビカメラの前で言うのは、私は違うと思う。純粋に「恥ずかしくないんですか?」これに尽きる。本人が平気だったとしても、家族的には大丈夫なの?と。顔にモザイクかけてもらってる人は、まだまともな気がする。私なら、インタビュー頼まれても絶対断るけど。人間から恥いる心を抜き去ったら、もはや超サイヤ人だよ。

 

そして、其の手の人たちがその流れで国の批判をすることにも違和感を感じる。国の方針によって深刻な不利益を被る人たちは別として、私はどのように行動するかはあくまでも個人の良識がベースになると思っている。国がこういうスタンスだから、というのはただの責任転嫁に過ぎないのではないかと。自分や周りの人を守るには、そしてこの状況を脱するにはどうするべきかは、私たち個人の言動にかかっている。どうしても出掛けたいなら、友だちと集うことなくひとりで出掛ければいい。どうしても外食したいなら、ひとりで黙々と食べに行けばいい。そして、気が済んだら、真っ直ぐ帰る。必要以上にストイックになることはない。普段からストイックじゃない人間が突如ストイックに生きたところで長続きしないぞ。今は何かと長丁場なことが多いぞ。覚えとけ。覚えとく。

 

以上、緊急事態宣言解除前日に思ったこと。

とりあえず、解除は解除だ。ばんざい。解除の状態が1日でも長く続くよう考えて行動するのだ。