途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

描き続ける理由

貫井徳郎『壁の男』読了。

栃木県のとある集落には、奇妙な光景が広がっていた。商店や民家の壁という壁に描かれていたのは、どぎつい色に彩られたあまりにも稚拙な絵。この集落の様子はSNSで話題となり、フリージャーナリスト・鈴木は取材に赴くが、肝心の絵を描いた伊苅という男は多くを語ろうとしない。お世辞にも芸術的とは言えない落書きのような絵を描かれて嫌がる住民はいないのか?そして、伊苅はなぜそのような絵を描き続けるのか?

といった内容。物語は、鈴木が伊苅の過去について調べていくというスタイルで始まるが、結果として、鈴木は全てを暴き出せない。途中から、伊苅が中心となったストーリーを読むことで、読者はことの真相を知ることとなるのだ。鈴木は、目論見通り、伊苅に近づくことに成功する。しかし、取材が記事となってこの世に出たとして、本当のことは当事者にしか分からないよね、というこの社会で生きていく上で留意しておくべき一面が示されることとなる。

思春期、大学時代、社会人になってからの日々、と丁寧に紡がれる伊苅の物語。誠実な彼と稚拙な絵が少しずつ繋がっていくにつれ、嫌な予感がじわじわと広がっていく。彼の人生を大きく変えることとなる優しき人たちとの出会いは、彼にとって間違いなく最高の日々だが、皮肉にもそこを起点に歯車は狂い始める。その後、とある人物の名前が明らかになったところで、私は思わず「やめて」と口走ってしまったほど。

読み終わったあと、やるせない気持ちが爆発しそうになり、どこかに救いはないかと登場人物たちを振り返った。すると、救われた人たちは、たしかにいた。伊苅が絵を描いてあげた人たちだ。皆、伊苅に絵を描いて欲しいと切に願い、描き上がった絵に癒され、魅了された。

最後の一文が、いつまでもいつまでも残る作品。