途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

号泣する人、しない人

同僚の親戚が亡くなった。特別休暇の申請やらのばたばたが小休止した時に、同僚はぼそっと「お通夜やお葬式の間中、私、きっと号泣するんだ」と口にした。「えっ?」と、私。「えっ?」と、同僚。

同僚の話では、この度亡くなったのは、もう十数年だか数十年だか会ったことのない親戚だったはず。どうやら、同僚は、故人(との繋がり)がどうこうということよりも、場の独特の雰囲気でとてつもなく悲しくなってしまうのだそうだ。

私は、自分の卒業式はもとより、中くらいの人の卒園式や卒業式でも泣いたことがない。それを伝えると、不思議な生き物を観察するかのように私のことを見ていた。なんとなく居心地の悪さを感じて、付け足しのように「映画や小説で泣くことはあるよ」と伝えてみたら、「私は、息子の懇談でも泣いたんよ」と返ってきて、さらに微妙な空気になった。

もしかしてもしかすると、同僚は全く知らない人のお葬式でも号泣してしまうのだろうか、という疑問が頭の中をぐるぐると巡ったが、謎は謎のままでいいと思った。