甥っ子が生まれたとの報せを受け、病院へお見舞いに行った。ちょうど4月からのタイミングで、病院側のコロナ対策にまつわるいろいろなルールが変更されたとかで、山あり谷ありだったけれども、どうにか対面することができた。
小さくて、きれいな赤ちゃんが、ただ静かに小さなベッドの中で眠っていた。義妹のお腹は、まだ妊婦であるかのようにぽっこり膨らんでいた。もう随分前に一度は私も通ったところではあるが、記憶はごっそり抜け落ちていて、「へぇ、そうなんだぁ」が目白押しであった。私は中くらいの人を帝王切開で産んで、寝たきり状態が長かったので、そのあたりの違いも大きいのかも知れない。
姪っ子(6)がいつも通りお喋りで、かと思ったら泣いてしまったりで、彼女なりに色々感じているようだった。意外にも静かに泣きじゃくる(彼女はどちらかと言うとお調子者)姪っ子に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と声をかけながら背中をさすっていて、ふと背筋が寒くなった。自分は果たして中くらいの人に、こんなことをやってあげたことがあるんだろうか。あったかも知れない。でも、断言できるほどの自信がない。思い出すのは、「さっさとしなさい」「男の子なんだから、しっかりしなさい(これ、たぶん、今なら問題発言なやつ)」と言っている自分。よりによって、こんなときに、こんなところで底なし沼に落ちなくてもいいのに、と途方に暮れているうちに、姪っ子が元気を取り戻した。子どもは逞しいな。私は、沼を新たにひとつ、所有することになった。
皆と別れたあと、母と桜を眺めながら、観光客で賑わう街を歩いた。母は昔のことをちゃんと覚えているのか訊いてみたいような気もしたが、やめておいた。途中、写真を一枚撮って振り返ると、離れたところで母が私を見守るように待っていた。