途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

別れ、そして印象的な出会い

春は別れと出会いと言うけれど、そのどちらもすぱぱぱぱんっ!とはいかない。人も物も。

雨井さんに背中を押されて、マグカップを新調することとなった。ついに、ついに、である。しつこく愛用していたミスタードーナツ(初期)のカップは、その分厚さ故の保温性が唯一無二で、貧乏臭い見てくれになっても手放せなかった。タダで貰われてきて、20年弱こき使われたカップは、しあわせだっただろうか、ふしあわせだっただろうか。可能であれば、尋ねてみたいような気もする。

お役御免にはなったものの、やはり捨てる気にはなれなくて、未練たらしく割り箸やらプラスチック製カトラリーなんかの入れ物として、台所の片隅に残している(やや浅めではあるが、その重さ故長いものを入れても倒れず、ここでも優秀)。

そんなレジェンドの後継にお迎えしたのは、地元の陶芸家さんの作品。持ち手の感じ、ざらざらとした感触、手のひらにのせた感覚が決め手となった。雨井さんと同じものを買ったが、色味や大きさに個体差があって、ぱっと見分けがつくのも好ましい。普段、食器にお金をかけない私にしては、清水の舞台から飛び降りるぐらいの大奮発(たぶん、きっと、一般的にはそれほどではない)。

ところが、自宅にて実際に使ってみたところ、中に注いだお茶が底に近いところからじわじわと漏れ出すではないか。なんてこと!翌日、仕事帰りにお店に出向いて事情を説明すると、こころよく交換してもらえた。

高価な陶器を持って歩きまわるのも、何らかの理由で交換してもらえない場合の無数の脳内シミュレーションも、私を草臥れさせた。けれど、ようやく新しいカップに出会えたことを素直に喜ぼうと思う。貧乏くさい見てくれになるまで愛せますように。

 

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ちなみに、雨井さんのカップは良品だった。