途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

先日、お好み焼きを食べていた時、だったか定かではないのだけど、交わした会話が頭の片隅に残っている。

「これから二人で今はまだ知らない土地で暮らしたらさ、もっといろんなものを食べ歩けるよ」といったような言葉が雨井さんの口から発せられた。意味はわかる。道理も通っている。決して突拍子もないことではない。ただ、たしかに引っかかったのだ。

元々、私たちは雨井さんの仕事の都合で転居を繰り返していた。当時はそれが普通だと思っていて、住まいもどうせ3年ぐらいで出ていくのだからと言わば使い捨て感覚で暮らしていた。それが、中くらいの人が中学生になるタイミングで、雨井さんだけが次の赴任地へ移ることとなった。理由は大まかにふたつ。ひとつは、雨井さん自身が転勤族の子どもとして育ち、何かしら思うところがあったということ。もうひとつは、赴任先にあった。雨井さんは言わば出戻り的な異動で、そこは一度、私たちが家族揃って暮らしたことがあった場所だったのだ。当然、中くらいの人の同学年の雰囲気も、進学する中学校もわかる。はっきり言ってしまうと、あまりいい環境ではなかったので、雨井さんは単身赴任を提案したわけだ。正直、私自身も、その土地にはあまりいい思い出はなかったが、家族が離れて暮らすということに抵抗があったため、同行するつもりでいた。が、いろいろ話し合った結果、中くらいの人と私は地元に残ることになったのだった。

そう、あの頃、私は雨井さんについてどこへでも赴くことを当然のことだと思っていた。いつでも引っ越せるように、シーズン毎に家電はきちんと段ボールに梱包していたし、食器やら家具やらとにかく家財道具は増やさない生活を意識していた。それが、気づけば私はここに8年ほど暮らしている。仕事も何だかんだで続けているし、趣味の植物も随分と増やしてしまった。そう言えば、今住んでいるマンションでは一番の古株になっているような気もする。目に見えないけれど、きっと、お尻には根っこが生えている。先日のトックリランのように。

そんなわけで、今回の雨井さんの発言で、ちょっとばかり目が覚めたのだった。雨井さんの転勤か、中くらいの人の進学か。何がきっかけになるか分からないけれど、こころの準備はしておかないとなあ、と思った一件だった。