途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

おばの霍乱

常々、更年期だか老化だかのうすら調子悪い感じとともに過ごしているが、ここに来て正真正銘の不調に見舞われた。

「あれ?のどが痛いかも」と思ったのは一昨昨日の朝。そこから時間の経過とともに、見事にやられてしまったことを確信した次第である。しかも、家に必ずあると信じていた風邪薬がなかったため、ホット・トディを拵えてちびちびと飲み、20時ごろには布団に入った。薬は、おそらく(滅多に風邪をひかないため)使用期限が切れたものを潔く処分したのだろう。少々切れてたって構わないから残しておいてくれよ、いやいや処分したなら補充しておけよ、と自分を呪いつつ寝落ちした。3時ごろ目が覚め、相変わらず居座り続けているのどの痛みに絶望しつつ、ルミフェンを飲んで布団に戻った。

 

↑この薬、現時点で私が唯一安心して服用できる解熱鎮痛剤である。コロナのワクチンでやられた時もこれ。生理痛もこれ。効能に咽頭痛と明記してあることは今回初めて知った。使えるやつ。

 

おかげでのどの痛みは良くなったが、まるで蛇口が壊れたかのように鼻水が止まらなくなった。ちなみに、熱はない。

現在、風邪薬を購入して服用をはじめ、快方に向かっている。

 

と、ここまで綴ったが、今は別な不調を抱えている。

どうやら私は薬剤に対するアレルギーがあるようで、解熱鎮痛剤に関しては上記のルミフェンを使っている。ところが、だ。今回の風邪薬に関しては、具合が悪い状態だったのもあって、深く考えず適当に買ってしまったのだった。効果は抜群で、風邪症状は良くなったが、昨夜お風呂に入った時に、胸からお腹にかけてと腕の内側に発疹がでているのを確認した。そうか、そうなのか。風邪薬と念のためのどスプレーの使用を取りやめることに。

 

そんなこんなで、治りかけの風邪をどうしてやろうかとネットであれこれ調べているところ。

師走の緑たち

街中を歩けば、クリスマスツリーやら鏡餅を目にする。今年も気づけばそんな時期だ。

とりあえず、年賀状は刷っておいた。なんせ年季の入ったパソコンを使うので、毎年必ずと言っていいほどトラブルが発生。年々気乗りしない作業となっているため、早めにやっつけておいた。若い頃は、お正月の楽しみと言えば年賀状と紅白だったのに、人というのは、時代というのは、こうも変わるものなのかと少し寂しくなる。なかには「もう年賀状は出さない」と決めた友人もいるようだけれども、私には年賀状だけで繋がっている知り合いが多いので、なかなか踏み切れずにいる。じわりじわりと淘汰されて、現在はピーク時に比べると30枚ぐらいは減っている計算。

 

暖冬のせいか、12月も半ばに差し掛かるというのにまだまだ私の目を楽しませてくれている植物たち。

「もう落葉しちゃっているから」とお安くしていただいたペトペンチア・ナタレンシス。うちの環境に落ち着いたのか、するすると蔓を伸ばし、次々に新しい葉を展開している。葉の表と裏とで色が違うのが面白くて、いつまでも眺めていられる。塊根は、ぱりっと焼き上がったパンのよう。

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3年目に突入したエバーフレッシュは、ここ最近新芽とともに蕾をつけるようになった。最初はクッキー&クリーム味のキスチョコのかす(失礼)みたいだったのが、次第に金平糖のように変化し、最後はふわふわの綿毛っぽい花となる。何が良い方向に働いたのかわからないし、そういうお年頃(?)というだけかも知れないが、花を咲かせることに苦手意識がある私にとって、これはなかなかに嬉しい出来事である。ちなみに、写真の中に蕾が3つ写っている。わかりにくいけども。

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9月末に切り取ったオペルクリカリア・パキプスのパワータンクが芽吹いたのには心底驚いた。時期も時期だし、春頃動き出すかと思っていたら、なんとまあ。日当たり抜群で暖房器具を使わなくても20度以上あるわが家がお気に召されたか。出てきたからには、このまますくすくと育ってほしい。すくすくと。

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↑奥のは、センナ・メリディオナリス。エバーフレッシュと同じく、暗くなると葉を閉じる可愛いやつ。

 

迷いながらも剪定に踏み切った黒法師。しばらくただの棒だったが、思いのほか大渋滞している。大フィーバー。

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↑おまけ。切り落とした上の部分も揷し木した。こちらもうまく育ってくれたら嬉しい。

パクチー由来の奇跡の話

数日前、ふと、日記の様子が普段と違うことに気づいた。

この世界の片隅の片隅で、ひっそりかつ気ままに綴っている日記にやたら星が降った。これは、中くらいの人が塾の自習室に通いだしたこと(ただしテスト期間中限定だったようで、現在は終了)の次ぐらいに奇妙奇天烈な状況である。知らず知らずのうちに何かやばいキーワードでも散りばめてしまい、それが見ず知らずの方々を引っ掛けまくっているのではなかろうか、などとおばさん的妄想の限界に挑戦していたところ、原因が明らかになった。

私の日記が、はてなブログの「きょうのはてなブログ」というコーナー(?)に掲載されたようだ。私は、普段、スマホのアプリで自分の日記を書くことと購読中のブログを読むことしかしないため、そのような社交場があることを知らなかった。何はともあれ、いんちきキーワード使いのフィッシングおばさんになったわけではなかったようで、心底安心した。

そうして、パクチーが世界の片隅の片隅に新しい風穴をあけることだってあることを知ったのだった。

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贅沢な祭り

職場の人からパクチーをいただいた。この夏、我が家のベランダで栽培してみたものの、あまりの暑さにやられたか、ひょろひょろとしたのを数回収穫して終わってしまった残念ハーブである。「ちょっとしおれちゃってるかも知れない」と言われたが、しっかりした根までついた超一級品だった。これはもう下手に保存などにはしらず、フレッシュなパクチーにまみれにまみれてやろうではないかと闘志がわいてきた。

そんなわけで、トムヤムクンパクチーたっぷりのフォー、パクチーよだれ鶏を作り、昼に夜にとパクチー祭りを開催した。

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ちなみに、偏食の権化である中くらいの人には、特別メニュー「何の変哲もない焼きそば」を用意した。←写真は特に残していない。

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コリアンダーシードとオレンジピールを使用したホワイトベルグ。安くて美味しい。

 

調子に乗って、これまた職場でいただいたぎんなんにも手をつけた。

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翡翠のような美しさにうっとり。塩を振って食べた。気が大きくなり、ついでに全部殻を剥いておいてしまえと100個ほどもあるぎんなんと格闘することに。レンジで簡単にできる殻剥き方法とは言え、結構な労働となった。

泥のように午睡する祭りの後。

週明けは冷たい雨とともに

つい数日前まで半袖を着て家でごろごろしていたのが嘘のように空気が一変した。

とりあえず、パジャマを長袖長ズボンのものに変えた。そして、ちょうどシーツに掛ける敷きパッドを洗ったタイミングだったことで、中くらいの人と恒例の口論に突入してしまった。

私は、うちで使っている敷きパッドはリバーシブルだと思っていて、夏は冷感的なつるりとした面を上に、涼しくなってきたらタオル地の方を上にして使っている(冬にはまた別の暖かい敷きパッドを使う)。中くらいの人がいつまでもひんやり側で寝ているので「そろそろ裏返したら?」と声を掛けたのが大間違いだった。中くらいの人は、この敷きパッドはリバーシブルではないと主張。一旦口論になると、最低でも10分はかかる。最悪、朝が昼になり、昼は夕方になる。何を言っても駄目な堂々巡りにうんざりして、いっそ冬の敷きパッドを出すからそれを使うよう提案もしてみたが、どうにもこうにも論点はリバーシブルか否か、なのである。この問題については、パッケージを処分しているため、もはや正解はわからないのだ。次のシーズンは、新しい敷きパッドを買ってしまおうと心に誓う(でもたぶん忘れる)。

植物たちを室内に招き入れた。外で完全に落葉させてから取り込んだ方が春の花つきが良いと聞いて、タイミングについては随分悩んだが、株自体が寒さにやられてしまっては元も子もない。日当たりの良い窓際に出来るだけたくさんの子を置くべく、パズルのようにあーでもないこーでもないと取っ替え引っ替えして、どうにかみんな定位置を得た。直近に迎え入れたペトペンチア・ナタレンシスは、葉が残すところあと数枚。表は普通に緑色だが、裏側はきれいな紫色をしている。日当たりが良いと少々分かりづらいが、日の暮れた後などにその鮮やかさにはっとさせられることしばしば。完全に落葉してしまうまで、もう少し私の目を楽しませてくれそうだ。

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初冬のとある一日のこと

少し前に、職場の人からそれはそれは立派な栗をもらった。生栗は扱ったことがなく、どうしたものかと思案ののち、とりあえず一旦浸水させた上で冷凍しておいたのだった。

北海道産の秋刀魚を買った。焼き魚とともに栗ごはんが食べたくなり、ついにあの栗の出番となった。鬼皮を剥くのは思ったより簡単だったが、渋皮を剥く工程に手こずった。渋みを恐れるあまり最終的には切り落とす感じになってしまったが、もともと栗の持つポテンシャルに助けられ、とてもおいしい栗ごはんが炊き上がった。平日の帰宅後にやるべき作業工程ではなかったような気もするが、久しぶりにほっこりした自宅飯だった。

 

ぼちぼちベランダの植物を室内に取り込む心づもりをしておくべき時期。最低気温が10度を下回るようになったら、と考えているが、実際にはこのタイミングで新たに植物をお迎えしてしまったりしていて、収まりがつくのかいささか不安でもある。

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新入りのプセウドボンバックス。株元の膨らみ具合も色合いも、すべてがたまらなく愛らしい。来年、新芽の美しい色合いを見るのが今から楽しみで仕方ない。

連休に思うこと

便りの無いのは良い便り、というが、私の日記もまさにそんな感じなのだよなあ、としみじみ思う今日この頃。調子良く過ごしている時には、あれやこれやの随分下の方に埋もれてしまっている日記を書くという行為。それが、何かのきっかけで狂いが生じてくると、不思議とぷかーっと浮上してくる。内省モードに切り替わるタイミングなのではないかと推測している。ということは、たぶん、きっと、私の日記はうすら暗い雰囲気を纏った文章の集合体なのだろう。

そんなだから、世の中の人々の充実した日々をまとめたブログや動画を見ると、何だかとても異質なものを感じて、びっくりする。特に旅の動画となると、「この人、楽しい瞬間に、冷静かつ緻密にビデオをまわしている!」と考えてしまい、それはもう異次元の行為として映ってしまうのだ。私と同じ人間であるはずの体操選手が、いとも簡単そうにくるくる回っているのを見るのに似ている。そして、異質だからこそ、現実逃避をさせてもらえたり、そこから生気をもらえたりもするのだ。

 

たまたま立ち寄った書店で、三國万里子さんの新刊を見つけた。これはレスキューレメディだ、と解釈して購入した。なかなか本腰の入らない編み物の日々に喝。

 

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11月に入り、葉を落とす植物が多い中、ブーゲンビリアがもう一花咲かせようと頑張っている。