途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

ハチロク

原爆の日。中くらいの人は、8時15分の黙とうに間に合うように、普段より早めの登校。

暑い朝にサイレンが鳴り渡る。

私は通勤途中の駅でその時間を迎えた。76年前も、今も、人々の生活のリズムはそこまで変わらないだろう。それぞれが「行ってきます」と家族に声をかけ、夕方もしくは夜には「ただいま」を言うつもりで家を出たはずだ。毎年、そんな光景を思いながら黙とうする。

広島では、被爆者の高齢化が深刻な問題になっていて、証言をいろいろなかたちで残す活動が進められている。現に、入市被爆した私の祖母は随分前に他界してしまい、私の家族にもはや当時を知る人はいない。母は毎年被爆二世健康診断を受けてはいるが、完全に戦後生まれの人間だ。

そういえば、結婚して数年経った頃に、義母から「え!○○ちゃん(←私のこと)、被爆三世なの!?」と驚かれたことがあった。私からすると、被爆三世なんてその辺にごろごろいるだろうと思うけれど、同じ広島でも、義母は島の人間なので、原爆に関してはどうやら距離感が違うようだった。広島港からフェリーで30分程度の島でもこんな感じなので、県外の人が、遠い昔の遠いどこかの出来事と捉えてしまうのも仕方のないことなのかも知れない。時々、芸能人が「自らが被爆三世であることを告白!」みたいな感じで伝えられることがあるけれど、「へー」とか「同じだ」とか「まぁ、そうだよね」といった感想を抱く程度。先ほども書いたが、そういった人はごろごろいるのだ。街を標的に爆弾を落とすという行為は、つまり、そういうことだ。

遠い昔の遠いどこかの出来事と思えているのは、今が平和だからだろう。でも、世界の国々が、あの原爆よりもはるかに強力な核兵器保有している。

この街で暮らしていると、破壊しか齎さないそれらが何故減らないのか不思議で仕方ない。

 

今日も、記念式典に出席する要人を乗せていると思しきヘリコプターの爆音が盛大に響いていた。何か後世のためになるものを持ち帰ってくれたらと願う。

f:id:yuyakesango:20210806212726j:image

↑この子も広島市の花キョウチクトウの仲間。