途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

スタートを切る

新年度、初出勤。

とは言え、職場は感染拡大防止のスプリット体制の真っ只中。なんとなくすかすかで、寒々しい。

自席に着くと、何か違和感。足元が狭くなっていることに気づく。

たったの一年で他所のチームに異動になった上司が、異動のどさくさに紛れてサイドキャビネットを掻っ攫って来てくれていた。

私の席はサイドキャビネットと縁がなく、お腹あたりのうっすい引き出しのみでやりくりしてきた。そこに入らないものは持たず、どうしてもという場合は、卓上に設けた小さなスペースに立てて置くようにしていた。そんな風にして日々過ごしていたことに気づいてくれた元上司。私の他にもサイドキャビネットレス族は2人いたので、計3台をどこかから調達して来てくれたのだ。とても大きな人なので、さぞかし目立っただろうなあと想像して、こっそり笑ったら、少し涙も出そうになった。有り難や。でも、今まで続けてきたミニマムな暮らし(?)からいきなり転換することができず、何をどう収納しようかと頭の片隅でぼんやり考えている。

サイドキャビネットがやって来たことで、自分の座る位置が以前より左寄りに固定された。仕事をしていて、少々不具合が生じたため、昼休みの残り時間を使って模様替えを決行。ノートPCと大型ディスプレイの場所を入れ替えた。機械類に弱い人間がどうにか大ごとにならないようなかたちで動かしたので、多少コードはぐねぐね渋滞してしまったが、自分からは見えないので良しとする。以前はPCたちの隙間からちらちら見えていた向かいのおじさまのお顔(右半分)も一切見えなくなって、自スペース感が格段に向上した。

心機一転、新たな気持ちでスタートを切れそうだ。

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我が家にも春先のウズウズが。リプサリス・ピロカルパは、ブラジル原産の森のサボテン。先が割れた部分に、新たな展開の予感。窓際に佇み、観察する日々。

いらんことはしなくていい、と言われたけれど

物事に区切りがつく時期。

中くらいの人が3年間通った塾に挨拶に行ってきた。中くらいの人が今よりもっと小さかった頃の習い事では、送り迎えの際に先生と顔を合わせることもできたが、今はなかなかそうもいかない。それだけ大きくなったということか。

塾の先生には、勉強のサポートはもちろんのこと、ちょこちょこご馳走になったりもしたようで、感謝してもしきれない。それに対して、中くらいの人といえば、カープ観戦やらお別れ会(市内の有名ホテルでのビュッフェ!参加費無料!)やらのイベントはすべて不参加で貫き通したのだった。側で見ていて、ちょっとは可愛げ見せろよ、と思ったけれど、なんせ頑なな人なので仕方ない。

そんなわけで、先生と言葉を交わしているうちに、これで本当に最後なんだとじわじわ実感して、顔のあたりが熱くなった。超絶ネガティブな母子は、先生にどれだけ励まされてきたことか。

 

日が暮れた頃、中くらいの人が帰宅した。私が塾に顔を出したことには気づいていないらしい様子に、人知れずほっとする。

ベビーブームは到来するのか

今年も桜が咲いたね、と声をかけられる。以前であれば、花見に行こうという話にでもなったのだろうけれども、世の中はすっかり様変わりした。

 

そして、我が家にも、春の気配が。

昨年、らっきょうほどの大きさでやって来たオーニソガラム・コーダツム。植物を購入した折に、おまけとしていただいたものだ。小さな鉢に植えつけてみたものの、風が吹けばこてんと倒れてしまうので、しばらくの間は元通り立て直してあげるのが日課になっていた。冬もベランダに出しっぱなしだったのだけど、すくすくと成長した。

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晴れた日は、特に、翡翠のようにつるりときれいな姿で、私の目を釘づけにする。ただただサイズが大きくなっただけではなく、別の角度から見てみると、子株を背負っている。

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こないだまでらっきょうみたいだった子が、もう立派な親に。別名が子宝の株というらしいので、これからぽこぽこ子株が生まれるのかも知れない。期待に胸膨らむ春。

まだ見ぬ花を咲かせる姿も、今後の楽しみである。

そんなつもりでは

貫井徳郎『乱反射』読了。

あるひとりの幼児の死を巡る物語。

登場人物は、互いに何の繋がりも持たない、ごくごく普通の小市民たち。誰も幼児を死に至らしめるつもりはなかったが、ひとりひとりの小さな罪が連鎖して悲劇は起きた。

どこにでもありそうな日常の一コマを読み進めるにつれ、膨らんでいく嫌な予感。各章に冠された、-44から37までのシンプルな数字がカウントダウンの役割を果たし、息苦しさを増幅させる。0で、当日、幼児の身に何が起こったかが明かされ、そこから先の章では、父親による犯人探しの苦悩の日々が描写される。裁くことのできない小さな罪の集合体を前に、絶望を抱えるしかない遺族。でも、その遺族もまた、自らが知らず知らずのうちに同じような罪を犯して生きてきたことに気づくことになる。

殺意を持った人間は出てこない。凶悪な殺人犯も出てこない。もしかしたら、自分の何気ない行動が、どこかの誰かを不幸に陥れているかも知れないという恐怖を味わえてしまう一冊。

 

 

この春の出来事

中くらいの人は、4月から晴れて高校生になる。

混沌とした状況の最中、てんやわんやな感情を言葉にして吐き出す気になれず、ブログに書き記すこともなく時が経ってしまったが、進学先が決まったのは、今月半ばのこと。

「お前はもう死んでいる」と同じくらいのトーンで「第一志望は9割落ちている」と中くらいの人が言うので、私は第一志望の合格発表日ではなく、その翌日に仕事を休むことにした。すでに合格通知をもらっていた私学の入学手続きを滞りなく進めるために。

あっさり「あ、落ちましたね」で突き進めるのであれば、それほどややこしいことではない。朝イチから粛々と手続きを進めればいいのだ。問題は、繰上げ合格。14時まではあるかないかわからない本命からの連絡を待って、不合格が確定したら、15時までに銀行にて入学金を振り込み、その足で16時までに私学の事務室にて手続きを完了させなければならない。とりあえず、私学の最寄りの銀行を調べ、その近辺で待機だな、などとキャパ小の頭をフルに使って計画を立てていた。

結局、中くらいの人はめでたく合格し、上記の計画を実行することはなかった。

 

ああ、よかった。そんな風にほっとした私に寄せられたのは「子どもの合格を信じとらんかったんか」とか「合格発表に一緒に行ってやらんかったんか」などという愛の野次。だって、落ちてるって言うんだもの。カンペキ死んだ魚のような目で言うんだもの。例の(本命に落ちた場合の)ばつぱつの計画を中くらいの人にさせるのは無理がある。だったら、その時動くのは私しかいないじゃないか。

と言いつつも、ネットで合格発表を確認した上で、高校に印鑑持参で書類を受け取りに行く、という工程を一人でこなした中くらいの人について「こやつ、大きくなったなあ」と感心したのも、事実。

昔、100円ショップで迷子になった時のこと。周りの大人に助けを求めることすら出来ず、店の隅っこに置いてあった踏み台に腰かけて、ひたすら静かに泣いていた中くらいの人の姿がよみがえる。助けて欲しい気持ちと恥ずかしさがせめぎ合う様子に、ただの小さい人ではなくなったな、と感じた。ここからは少し、生きづらくなるよ、とも。

今回、もしかしたら、合格そのものよりも、自分のために自分で行動できるようになったことの方が、私の胸を打ったかも知れない。たとえ私がいなくてもこの子は大丈夫、という根拠が欲しい。ひとつひとつが砂粒ほど小さくて頼りない根拠であったとしても、それを少しずつ集めていきたいし、集めないといけないと思っている。漠然と。

もちろん、合格もとてもとても嬉しいのだけど。

 

ところで、中学生ではなくなる彼を、今後も中くらいの人と呼び続けて良いものか、人知れず悩んでいる。特に高身長ではない彼を、高校生だからと言って「高い人」というのもピンとこない。そんなわけで、中くらいの人は、今後も中くらいの人でいいかなと思う今日この頃である。

雨降って地固まる

とーさんの病気にまつわるドタバタは、とりあえず落ち着いた。リンパや骨への転移は、100%ないとは言い切れないものの、今のところは心配しなくていいんじゃないでしょうか、という医師のお墨付きをいただいたとのこと。治療が始まり、例のコブもすっと姿を消したらしい。

最近のとーさん。やけに食欲が出てきて、あれこれ食べるようになったと聞いて安心した。長らく味覚と嗅覚がおかしかったので、今はいろんな物がおいしくてたまらないのかも知れない。

 

ふと思い出したのは、中くらいの人が、生まれて初めてチョコレートを食べてしまったときのキラーンとした表情。食べてしまった、と書いたのは、私は、その時点で、まだ中くらいの人にチョコレートの存在を教えるつもりはなかったからだ。

観光地にて立ち寄った喫茶店のマスターが、手品でも披露するかのように、中くらいの人に一粒のチョコレートを、ひょいっと手渡した。あ、と思ったときには、時すでに遅し。中くらいの人の顔には前述の表情が浮かんでいた。そして、その後、立ち寄る先々で、ギブミーチョコレート的なことを繰り返し、大人たちを困惑させたのだった。

 

話はとてつもなく逸れてしまったが、ひょっとしたら、いま、とーさんはこんな状態なのではなかろうか。失われた20kg、取り戻すかな。できれば、取り戻すのはその半分ぐらいにして欲しいのが正直なところ。

 

たがいに年をとり、いささかあやうくなりかけていたとーさんとかーさんの関係は、とーさんの癌発覚で幾分マイルドになったように見える。ふたりが一緒になって、病に立ち向かったご褒美みたいなものだろうか。病気は憎いが、悪いことばかりではない、と信じたい。

3回目

先日、新型コロナワクチン3回目の接種を終えた。

当初、自治体から届いた接種券には、2回目の接種から8ヶ月経ってから、予約のうえ接種を受けるように、との説明書きがあったので、一旦、我が家の神棚的なところ(ここには何だかんだと民芸品が飾ってある。目につきやすいので、大切なものはここに安置しておくことが多い)に立てかけておいた。それが、何かのタイミングで、ふと、冷やかし程度にアクセスしてみようかという気になった。そうして、マイページに飛んでみたところ、8ヶ月が6ヶ月に前倒しされており、すでに予約を受け付けてもらえることが判明した。ならば、いざ予約!とあれこれいじくりまわしてみた結果、私が無理なく赴くことができる接種場所に関して言えば、ファイザーに拘るなら4月半ば、モデルナでも良ければ、ほんの数日後に接種可能であった。かねてから混合接種になっても構わないと思っていたので、早いことやっつけることにした。

で、今回の副反応について。モデルナはきついよー、とおどかされていたものの、前回までのファイザーと特に変わらなかった。接種後24時間経ったあたりから発熱。38.5℃ぐらいまで上がった。普段が35℃台なので、まあまあきつい。解熱剤を飲んだら、素直に下がったのも同じ。

それにしても、なんとなくだるい感じ、そして、メンタルがズタボロになるのは、副反応なのだろうか。それとも、あくまでも私の不徳の致すところなのか。これから先の人生、ずっとこんな感じだったらどうしよう、と何度も何度も考えたよ。熱が出てる間は、ぼーっとしてるか寝てるかだから、案外、あのズタボロメンタルが一番のダメージだったりして。