途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

年代

新しく転居されてきた方が挨拶にお見えになる。

突然のインターホンにびくつきながら、ほぼほぼ寝起きそのままの姿で、とりあえずマスクを着用して応対。私の両親より幾分かお若めかな、といった年代の品の良さそうなご夫婦だった。最上階に入居されるご夫婦が、何故中層階のわが家まで?と、まだ十分にあたたまっていない頭で疑問を抱いていたところ、駐車スペースが丁度上段と下段にあたるとのこと。わざわざのご挨拶に恐縮する。

最近は、同じマンションの上下左右に接している部屋であっても、転入や転出の挨拶なしのことが多い。気づけば気配がする、やたら静かになった、引っ越し業者が出入りしている、といったことで察するのが常になっている。

昭和生まれの両親に育てられた私は、学生時代に一人暮らしをした際も、周りの住人への挨拶の品を持たされた。両親が私の元を訪れた折には、ともに連れ立って大家さんにも挨拶に伺った。そういった背景があるためか、今回お見えになったご夫婦のお気遣いがこころに染みた。

 

実際の年齢は離れていても、丁度親ぐらい、子ぐらい、といった年代にあたると、親近感を覚えることがあるのに対して、たとえば10歳前後の微妙な違いに大きなジェネレーションギャップを感じることも。

 

中くらいの人は、また独特だ。

すこし昭和感が強い。顔や手、また食器を洗う時、どうやらお湯ではなく冷水を使っているらしい。冬の間も、自室では一切暖房器具を使う様子がない。イヤホンはワイヤレスではなく有線(しかも耳に入れる部分がいまどきじゃないやつ)が良いらしい。好みのソフトドリンクは、みかんかりんごかぶどうのジュース(炭酸は飲まない)。

そういえば、彼がまだまだ小さかった頃、まわりの子らが皆夢中だったヒーローものを知らないことがあった。話についていけないのではないかと私の方が気を揉み、ヒーローものが始まる時間になったらチャンネルを合わせてみたりもしたが、観なかった。たしか、きょうみない、というようなニュアンスのことばを発していた。そんな感じで、アンパンマンポケモンもスルーした。

かわりに、七五三にはミスター・ビーンみたいなジャケットが着たいと言い出し、子ども用のツイードのジャケットを求めて県外まで奔走した。大人サイズのバック・トゥ・ザ・フューチャーのTシャツを欲しがり、何度も乾燥機にかけてどうにか縮ませて着せたこともある。マーティみたいな赤いスリーブレスのダウンを着ていた時期もあった。

この人は、今も同年代の中で浮いているんじゃなかろうか。いや、きっと浮いている。私は、こんな人がひとりいたらおもしろいと思うけど、もしかすると、もしかすると、彼の青春の色はセピア色かも知れない。社会に出てしまえば、意外と世の中は一気に色彩を増すのだけれど。

わかってくれる人、もしくは許容してくれる人があらわれるまで、自分らしくあって欲しいと思う。にしきのあきらの「空に太陽がある限り」(サビ部分のみ)を口ずさんでいる中くらいの人よ。その歌は、私よりも年上だ。