途方に暮れなずむ

途方に暮れていたり、いなかったり。

個性葉

出勤時、駅の改札ゲートに阻まれる。窓口で駅員さんにプリペイドカードを差し出すと、昨日の運賃が未納になっているとのこと。たしかに、昨日、改札を通ろうとしたら、一瞬カードが変な反応を示したような記憶がある。ただ、通せんぼシステムが稼働することもなく、もうすでに通過してしまっていたので、深く考えず帰宅したのだった。そんなわけで、昨日の分を差し引いてもらった上で改札を抜けた。賢いな、改札。

 

 

暖かな日が続いている。家中の植物をベランダに大移動させるのも、もうそう遠くなさそうだ。植物たちにとっては、太陽光を浴び、風に吹かれ、時に雨に打たれ、ぐんぐん成長する季節の到来。

一方、室内の方はと言うと、一気に彩を失うことになる。この冬は落葉しなかった植物が多かったので尚更だ。忍び寄る寂しさの予感は、私の植欲を掻き立てる。以前から気になっていた観葉植物を買おうか、買うまいか。ここ数週間、ゆらゆら揺れる気持ちと向き合ってきた。そうして、観葉植物を2株ほど我が家に迎え入れることにした。

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↑ドット柄の葉がたまらないベゴニア・マクラータ。ちなみに、葉の裏側は赤色。眺めていて飽きることはない。

 

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↑特徴的な切れ込みの入った葉が目をひくアロカシア・ジャクリン。ワイルドな葉脈といい、色合いといい、その美しさは作り物かと疑ってしまうほど。葉に負けず劣らず、その茎もゾンビ・プランツを想起させる奇っ怪っぷり(写ってないけど)。

消えてなくなる

10年来付き合いのあった洋服店が閉店することになり、雨井さんと最後の買い物に出かけた。

最初は選択肢のひとつに過ぎなかったお店が、10年の間に、私たちにとっては唯一無二のお店になっていた。そんなわけで、正直、今後洋服はどこで買えばいいのかと悶々としている。ネットで買うこともできるが、経験上、たとえ好きなお店の洋服であっても実際着てみるとしっくりこないことが往々にしてあるのだ。困った。そんなことを思いながら、一足ずつ、半額以下になった靴を買った。嬉しいけれど、なんだか切ない。上等な靴なのにね。

 

雨井さんから東京出張のおみやげをもらった。その名もパンダバウム。型ぬきしながらパンダを食す。

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困惑回遊記

かーさんから雨井さんと中くらいの人へのチョコレートが届いた。それを受け、まだまだ大丈夫、と先延ばしにしていたバレンタイン一色の百貨店へ買い物に出掛けるべく重い腰をあげた。

昔からこういったイベントは苦手である。気力体力が枯渇してしまわぬうちに、脇目も振らず催し物会場へ直行した。

うすうす気づいちゃいるが、自分というものはなかなか変わらない。今回も回遊魚の如く売り場内を移動。右を見てもチョコ、左を見てもチョコ。方向感覚を失い、顔は半分死んでいる。最初は必死だった客引きも、私が周回数を重ねるうちに「あ、この人まだまわってる」と察し顔で見守ってくれるようになる。いくつか差し出された試食用のチョコは、コロナを経て、個包装タイプになっていて、どれもおなじように見える。そして、もちろん、どれもおいしい。これがまたさらに私の困惑を助長する。どれにも等しく「おいしいですね」と感想を述べて、何周目かでようやくチョコを3つ調達した。とりあえず、ミッション・コンプリート。お客さんが群がっておらず、そこそこいいものに見える(ような気がする)もの、というのが決め手となった。←毎年これ。

 

さて、問題は雨井さんと中くらいの人。彼らはチョコで喜ばない。毎年、バレンタインにもらったチョコは、そのまま冷蔵庫に安置され年越しする。あんまりにもあんまりな時は、私が摂取する。

中くらいの人には、本人指定の(全くもってバレンタイン的ではない)お菓子をさくっと購入した。雨井さんには、下着か靴下か、と紳士雑貨売り場を物色したものの、これといったものに出会えず、再び回遊魚化。捨て鉢になって、普段立ち入らないメンズ・ビューティー的な浮かれた売り場に吸い寄せられた。結果的に、そこでオールインワン美容液?化粧水?みたいなものを買うことにしたのだが、何だかもやっとしたのでここに記しておく。

その素敵な美容液が入った素敵なパッケージを持って、店員さんにお会計をお願いしたところ「ご自宅用ですか?」と訊かれたのだ。バレンタイン一色の百貨店のメンズ・ビューティー的な浮かれた空間で。予期していなかった問いかけにしばらく固まってしまった。慌てて「いえ、プレゼントです」と答えてから、さらに遅れて頭がくるくるとまわりだした。そもそも、ご自宅用すなわち自分用という認識でよろしいのだろうか。もしや、店員さんは私を男性だと勘違いしたのではないか。いや、メンズ・コスメ好きなおばさんだと思われたか。可能性は無限大。くるくるともやもやが止まらない。決して気分を害したわけではないが、今となっては永遠の謎である。とりあえず、雨井さんがこのプレゼントを気に入ってくれたら嬉しい。かも。

 

↑中くらいの人がこよなく愛するロイズのポテトチップチョコレートの白いやつ。毎年、かーさんから贈られる。

晴れ待ち

雨の日が続いた。

部屋干しすると体調が悪くなるので、こんな時は浴室に衣類乾燥機を持ち込んで乾かすようにしている。翌朝には自動で停止した衣類乾燥機が、タンクにたっぷりと水を抱え込んで「どうだ、すごいだろ」と言わんばかりにふんぞり返っている。たしかにすごい。毎度、洗濯物からこんな量の水が?と思いながら排水している。ただ、やはり外干しに比べると乾き方が気持ちよくない。晴れよ来い、と唱えながら片付ける。

 

パキポディウム・イノピナツムがどうやら目を覚ましたようだ。そういえば、と夏の終わりにいち早く休眠態勢に入ったのを思い出す。これも一種の早寝早起きか。

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ふたつに分頭した先っちょの両方から緑色が覗いている。イノピナツムは色白なので、丁度メロンフラッペといった感じの色合いだ。

この冬はうまく休眠に入れなかった様子の植物が多いので、目覚めの悪さを懸念している。みんな、イノピーに続け!

 

例の赤いセーターを編んでいる。

あと少しで半分、というところで目数がおかしいことに気づいた。ほんの数目足りない。気づかなかったことにして編み進めようかと思ったが、モヤモヤして手が止まる。通常、セーターは裾から首方向に向けて編んでいく。ところが、このセーターは左袖から右袖に向かって編むのだ。つまり、このまま突き進むと、左側と右側でサイズが変わってしまう。これから編む右を左の過ちに合わせてしまうというやり方もできそうだが、濃度が増すモヤモヤに自分が耐えられるか自信がない。そうして、後戻りすることを決めた。ところどころに増し目や引き返しがあるが、幸いなことに大部分がメリヤス砂漠なため、潔く針を抜いてするするとほどいた。目を落とすことなく無事後戻りができたので、よしとする。

トライ

毛糸を買った。苺ジャムみたいに真っ赤なのを12玉。いつも編むのは決まって黒か白ばかりなので、今回は随分と実験的な試みだ。赤い毛糸玉はかわいい。でも、赤いセーターが私の気に入るかは未知数。明るい色は、弱ってきた目にもやさしい。まずはシンプルに、編むという行為を楽しみたいと思う。

 

 

ところで、久しぶりに困った飲み会に参加した。一次会はまあよかったのだが、問題は二次会。誰も歌わないのになぜかカラオケに行き、しこたま日本酒を飲んだ主催者(的な人)に、話が途切れる度に「こういうのはハラスメントになるからあんまり言っちゃいけないんだけど、何か歌って」とせがまれた。丁重にお断りし続けたが、さすがに辛かった。3時間コースだったが、とりあえず2時間は我慢。そこから「バスはまだありますか?」「そろそろ帰らないとバスなくなりますよ」などとお開きトライをかましつつ、ひたすらその時を待ったのだった。あんなに家に帰りたいと切に願ったのは、いつぶりだっただろう。

さよならの気配

今シーズン唯一のセーターを仕上げたら、ぽっかりと穴があいた。何に?余暇の過ごし方に?はたまた私の心に?そんな感じの空虚。あれだけ放ったらかしで時間だけかけた一着。でも、手を離れると、とても寂しい。

積読してた三國万里子著「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」を棚から取り出して、読み始めた。久しぶりに栞をはさみながら読む紙の本。最近はすっかり電子書籍ばかりになっていたので、かさりかさりとページをくる音すらも耳に心地良い。

 

 

 


ところで、年明け頃から何か別れの前兆めいたものを感じている。そして、それはとても薄らぼんやりとしていて、うまく言えないのがもどかしい。

振り返ってみると、節目節目にとてつもなく大きな何かが起きていた印象があるので、世の中で起きた(もしくは、起きている)あんなことやこんなことが起因しているのかも知れない。いや、もしかしたら、親がぼちぼち終活を考えだしたから、とか、近々退職する人がいるから、とか、友人の離婚が成立したから、とか、贔屓にしていた洋服屋が閉店してしまうから、といった身近な出来事のせいかも知れない。特別なことのない平々凡々とした日常が何よりも好物な自分にとっては、いささか落ち着かない日々。

そんな中、アクセサリーをなくした。ネックレスの留め具のはめ方がまずくて、チャームをふたつ、チェーンの端からぽとりぽとりと落としてしまったらしい。かろうじて首に引っかかっている状態のチェーンに気づいた瞬間は顔面蒼白になった。周辺を探してみたが、見つからなかった。家からの道のりのどこかで落としてしまったのだろう。小さな小さなチャームを見つけるなんて出来るわけない。想像するだけで絶望。なんだかさよならの妖精にも取り憑かれているし、そもそもなくしたチャームのうちのひとつはウン十年前の恋人からもらったものだった(その人に未練はないけれど、意匠が素敵だったので何となく手放せなかった)し、これもまた運命。むしろこれで厄払い的な展開になったのではないだろうか、などとお得意の火事場のポジティブ・シンキング(ただし、ここに至るまでは相当ヘコんでいる)で乗り切ろうとしていた。すると、どうだろう。たまたま近くを通りかかったおじさん(失礼、紳士!)が「あれ、これは何だろう」と私のチャームを手のひらに乗せて途方に暮れていたのだった。さらに、翌日にはもうひとつのチャームも私の元に戻ってきた。信じられない。

さよならの妖精にも、さよならされてしまったのかも知れない。

思い出を編んだり解いたり

四国時代の知人と新年会。

彼の地で過ごしたのは、中くらいの人が幼稚園から小学2年生までの3年間。その後、知人がこちらに引っ越して来て(!)再会を果たしたのが、もう5年も前のことになるらしい。騙されているのではないかと疑ってしまうぐらい、時は凄まじいスピードで流れている。

近況報告をしていたつもりが、いつの間にやら昔話に切り替わっていた。古い古い記憶は案外するりと取り出せるものもあれば、「うーん・・・」と唸りながら引っ張り出さなければならないものもあった。あの3年間は、なかなかにしんどい時代だったので、もう二度と戻りたくはない。それでも、一緒に笑い話にできる人がいるのは有り難いことだ。

 

暑さがのりにのっていた8月あたりから編み始めたセーターが、奇しくもこの冬一番寒い日に完成した。例年なら1シーズンで3着は編むのに、今シーズンは編み針を持つ気にならないわ、集中も続かないわで、本当にダメダメだった。黒い毛糸が見えにくいのも原因のひとつのような気がして、最後の仕上げをするにあたって小さなスタンドライトまで買ってしまった(ただ、これはあまりにもちゃちすぎて本当に役に立たなかった)。そんなこんなで仕上がったセーターは、ダメダメな思い出とともに私を温めてくれるだろう。たぶんね。

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